お詣りはどこの神社がよいの?!


お詣りはどこの神社がよいの?!

【コーチングで世界を創造する】杉本ワークスの杉本浩章です。


新年が明けて、どこでお詣(まい)りしたらよいのだろうというご相談を何度も受けました。

色んな考え方や信念、アドバイス等があると思いますが、私は、「自分の一番のお気に入りの場所で」と答えています。


「一番のお気に入りの場所」というと不謹慎というか、言葉が軽いでしょうか。

「最も真心を込めて祈れるところ」、「なぜか最も信じることができる神社やお寺」、「確信と臨場感がもてる場所」と言った方がよいかもしれません。



「祈り」とは、コーチング的に表現すれば、「ゴール設定」です(少々飛躍し過ぎかもしれませんが)。

コーチングの正しいゴール設定は3つのルール、「現状の外側」、「心から望むこと」、「人生の各方面にまんべんなく」なのですが、認知科学的には、意識が向かえば、なんでもゴールです。

無意識は志向性があるからです。何かに意識がきちんと向かい、脳がゴールとして認識・設定すれば、無意識は自動的にそちらに向かいます。コーチング用語で「目的的志向(Teleological;テレオロジカル)」といいます。


そして、ゴール達成において最も重要なことは、「臨場感」です。

ゴールの世界にいるであろう自分の臨場感さえ高まれば、ゴールは無意識が自動的に達成してくれるが、コーチングの正しいゴール達成方法です。


「ルー・タイスの方程式」

I(Image) × V(Vividness) = R(Reality)

イメージに臨場感が伴えば、それは現実のものとなる。


ですから、真心を込めた強い祈りとは、強烈な内部表現の書き換えであり、情報場に対する介入です。祈りの強さによって確信と臨場感が高まり、まさに、コーチングのゴール達成技術に通じるものがあります。

「最も真心を込めて祈れるところ」がよいとは、そういうことです。



気功やヒーリングにおいても、確信や臨場感生成技術が非常に重要な要素となってきますが、それは密教技術でいうところの「身口意(しんくうい)」にあたります。

身口意の「身」とは、身体性を意味します。すなわち、「身体を使う」ことによって、言葉や意識(イメージ)の臨場感をより高めているのです。


強く祈るとき、私たちは手や体を使います。

それは印を結ぶのかもしれませんし、数珠を使うのかもしれませんし、手を叩いたり合わせるだけかもしれません。姿勢を前に倒し、拝むのかもしれません。

何かしらの教義・教理に則って、祭儀をきちんと執り行うのかもしれません。

いすれにしろ、身体を使い動作が伴うことによって、臨場感がより高まるのです。それが身口意です。強い祈りの正体です。



より本質的に言うと、「行動を伴うこと」が確信と臨場感生成そのものなのです。

だからこそ、より自分がお気に入りの確信が持てる神社やお寺にわざわざ出向き、強く祈るのです。


家の中だけで中途半端な気持ちで、祈りを捧げても効果はありません。内部表現の書き換えや情報場の介入に成功しません。それは臨場感が高まらないからですが、情報場の書き換えにエネルギーが全く足りていないのです。

行動を起こすことにこそ、意味があります。



そして、「なぜか最も信じることができる神社やお寺」ですが、そう感じるのも、そこでお務めになる住職やお坊さん達が、きちんと精魂込めて祈りを捧げているからです。

そうして、境内の情報場や雰囲気が浄化され、場のエネルギーが高まり、縁起物やお守りなどがその意味や効果を成し、私たちに福や幸運をもたらすのです。


あるいは、その場所そのものに意味がある場合もあるでしょう。風水で言えば、龍脈が通っているです。


苫米地理論における「情報場」という概念(苫米地英人、超情報場仮説)をとらえると、正統な祈りがスピリチュアルでもなければオカルトでもないことが分かります。

古代の人々や古典では、魔術も含め、多くの祈りが語られてきました。それにはきちんと意味があるということです。


今日も最後までブログを読んで頂き、ありがとうございます。

2018年01月10日