愛するとは、愛してもらおうとする企てである


愛するとは、愛してもらおうとする企てである

【コーチングとヒーリングの融合】杉本ワークスの杉本浩章です。


手段と目的を混同すると、自分の望んだとおりに、もしくは期待したとおりに、人生をうまく運べません。

例えば、コーチングでよくある間違った例として、年収をゴールにしてしまうことがあります。

お金は、ゴールにはなりません。

なぜでしょうか。



お金は、手段であって、目的ではないからです。

ゴールとは、人生で成し遂げたいことです。

お金をたくさん稼ぎたい、たくさん欲しいと思う人は多いでしょう。それはそれで何の問題もありません。

しかし、たくさん欲しい理由は何でしょうか。札束を愛しているからですか。札束のそばにいたいからでしょうか。

違いますよね。お金を使って、何かをしたいからです。

何をしたいかは、個人の自由です。肝心なのは、お金は手段でしかないという認識です。


関連記事:「年収はゴールにはならない?!」



意識の向ける先を間違えると、人生は空回りします。


毎日刺激的で明るい人間関係や恋愛関係を築きたいと考えたとします。

よりよい関係性を築くための書籍などを見渡すと、必ず見かけるのが、「相手を楽しませなさい」とか、「喜ばせなさい」、「褒めなさい」、「相手の話をしっかり聞きなさい」、「共感しなさい」、「与えなさい」、「利他的になりなさい」などと書かれています。

もちろん、それらが、相手との関係性を良好に築いていくうえで、大切であることは間違いありません。しかし、それら、相手に与えることばかりに意識がいき、相手にそれなりによい感情が生ずることに成功したとしても、それが自身のゴールと何ら合致していないものになっていたとしたら、宜しくはないでしょう。


自身と相手との両方が、幸せになっていくという視点での、行動なり手段や選択が大切です。

「抽象度が高い」とは、そういうことです。

関連記事:「抽象度と抽象度の高い思考」



このブログを書きながら、ある名言を思い出しました。


「思うに、愛するとは、愛してもらおうとする企てである」


これは、サルトルの哲学書「存在と無」に書かれているものです。実に、的を得た名言だとは思いませんか。

通常、私たちは、恋人のいる人や、既婚者を愛そうとは考えません。(略奪愛みたいなのも世間にあることはありますが)

なぜでしょうか。


愛してもらおうとするのが、難しいからです。だから、愛さないのです。

この名言は、恋愛の本質を鋭くとらえていると言えましょう。素晴らしい指摘だと思います。


テレビなどに映るモデルや女優さんには、たくさんのファンがいます。ファンは、その芸能人が恋人ができたり、結婚をすると、悲しくなる人が多いのも頷けます。企てる気持ちが減るからでしょう。

ですから、プロデューサーが視聴率を目論み、その視点で出演者を吟味するのは、最もかもしれません。視聴者に、企てる気持ちを多少なりとも持たせるように考えるわけです。



恋愛関係で、愛するがゆえに、相手をたくさん喜ばせたとしましょう。そして、相手はたくさん喜びます。けれども、それで終わっては、間違いなく悲しいですよね。

愛してもらいたいという欲求が、必ずあるはずです。

そうしたら、同じ喜ばせるにしても、相手に愛してもらえるような喜ばし方と、単に誠実でいい人と思われるだけの喜ばし方とでは、その先の関係性や結果に圧倒的な差が出てしまいます。

喜ばせることを目的にしてはいけないですよね。その先に愛してもらおうとする企てや目的があって、その手段として、喜ばせることが必要なわけです。



ビジネスも同様に考えられます。

クライアントを喜ばせたいですよね。

しかし、ビジネスである以上、相手に、自分や商品がすごいとか魅力的だと思って欲しいですよね。それがなければ、ビジネスにはならないし、利益も生じようがありません。

単に、クライアントを喜ばせて終わりではないのです。

相手を喜ばせることが目的ではなく、相手にも自分にもきちんとメリットや利益が生じることが目的で、その手段として、相手を喜ばせるわけです。



自身の行いや思考が、相手のためにもなり、そして、自身のためにも本当になっているのか、日々の日常生活の中で、吟味していくことは大切でしょう。

そのなかで、手段と目的を、混同しないようにしましょう。


今日も最後までブログを読んで頂き、ありがとうございます。

2017年11月08日