私たちは無意識の奴隷?!


私たちは無意識の奴隷?!

【コーチングとヒーリングの融合】杉本ワークスの杉本浩章です。


マインドに関わる仕事をしている人や、人生経験の豊富な人ほど、タイトルの「私たちは無意識の奴隷?!」という言葉を聞いて、納得するのではないかと思います。

そうです。私たちは無意識の奴隷です。この表現は決して大げさではありません。


例えば、目の前の人と良好な人間関係を築きたいとしても、無意識がそれを望んでいなければ、良好な人間関係を築くことはできません。

無意識に余計なことを言ってしまったり、こうして人間関係を築こうみたいなことを考えていたとしてもそれがなぜかうまく行動に移すことができなかったり、モチベーションが上がらない、気分が乗らないなど、ありとあらゆる形で無意識が良好な人間関係の構築を邪魔してきます。


ビジネスで、目の前にビッグチャンスが巡ってきたとします。無意識が、その仕事の成功を望んでいなければ、どこかの過程で、私たちはミスをしでかします。そして、それに落胆します。

落胆は、もちろん私たちの意識では望んでいません。しかし、無意識にとっては、望んでいるというか、計算通りなのです。


無意識は、私たちの意識とは切り離された、別人格のようにさえ感じるかもしれません。

私たちの頭の中に脳があって、別の人格なり存在が私たちとは別にあって、そいつが私たちに抗(あらが)い、抵抗し、私たちの成功を阻止するように感じられるわけです。



しかし、ほとんどの場合、無意識にとっては計算通りです。


人間の脳をコンピューターのようにとらえると、違和感を覚える方もいるかもしれませんが、パソコンのようなデジタル信号処理ではないにしろ、人間の脳は紛れもなく、「情報処理システム」です。

そして無意識は、プログラミングどおりに情報処理をし、結果を出力します。出力とは、判断や行動のことです。


認知科学は、このようなスタンスで、人間の脳や認知のカラクリをとらえます。

無意識は、脳内のプログラミングに忠実なだけです。

先の例に挙げた、「無意識が望んでいない」というのは、脳内のプログラミングが、成功をインプットされていないということです。


「認知科学」についてはこちら



コーチングでは、この脳内のプログラミングのことを、「セルフイメージ」とか「ビリーフステム」といいます。

セルフイメージとは、自身が思い込んでいる自分の在りようのことです。


ビリーフシステムとは、脳内に築かれた「認識のパターン」のことです。私たちは往々にして、判断や行動のほとんどを無意識に自動的に行いますが、それは脳内(主に前頭前野)にパターン化された記憶があるからです。そうでもしなけば、日常生活など、いちいちひとつひとつを吟味していかなければならないので、脳はパンクしてしまいます。

箸の使い方を私たちはいちいち考えません。歩き方や階段の上り方をいちいち深く考えません。慣れた人は、車の運転やパソコンのキーボードの打ち方を考えません。それは脳内に、パターン化された記憶があるからです。私たちはそれらを一般に、「慣れ」といいます。



要するに私たちは無意識の思惑通りに、翻弄されます。すなわち、無意識の奴隷です。

失敗する人は、無意識にとって、失敗が当たり前なだけです。


これだけ聞くと私たちは、絶望と落胆を覚えるしかありません。

が、しかし、確かに私たちは無意識の奴隷に違いはないのですが、私たちは「無意識の支配者」であることも忘れてはいけません。

私たちは無意識のプログラミングを書き換える力を有するということです。

それが「コーチング」です。


このテーマにおいて特に重要な点は、「言葉が現実をつくる」ということです。

日々の中で、自身に語りかけ続けている思念や言葉の蓄積が、無意識のプログラミング、セルフイメージであったり、ビリーフシステムを構築しています。

今の自分の在り方や人生は、過去に思考したことの蓄積であり集大成です。

過去の思考が現在をつくっています。

とすれば、現在の思考が未来をつくり上げます。

「思考は現実化する」といいますが、ほぼ、そのとおりです。


現実化しない思考もありますが、詳しくはこちらのブログ:「思考が現実化しない?!」



はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。

(「ヨハネによる福音書」の冒頭部分)



思考や言葉を変えていきましょう。

そして、無意識に翻弄されないように、人生を自身の望む方向に向かわせましょう。

望むべき方向とは、「ゴール」のことです。

思考や言葉を変えるにしても、ゴールがなければ、変えようがありません。どう変えていいか、定まらないからです。

すなわち、何事においても人生には、ゴールが先決なのです。


今日も最後までブログを読んで頂き、ありがとうございます。

2017年11月25日