常識を知ったうえで、常識を超える3(速読編)


常識を知ったうえで、常識を超える3(速読編)

【コーチングで世界を創造する】 杉本ワークスの杉本浩章です。


睡眠の常識に引き続き、今度は「読書」についてです。

関連記事:「常識を知ったうえで、常識を超える2(睡眠編)」



人は普通、本を読むとき、きちんと理解をして読もうと思ったら、ゆっくりと時間をかけて丁寧に読むと思います。

熟読とか、精読と言われるものです。


小説などは、一字一句漏らさず、表現や文字、その他著者の息づかい等を味わいながら、じっくり読むことになるでしょう。ここに速読というテクニックを持ってくるのは、いささか礼儀に反するというか、ナンセンスに感じるわけです。

著者は読者に対し、そんなことは望んでいないはずです。じっくり丁寧に、本の中での世界観を臨場感豊かに体験し、味わいながら、本と向き合ってほしいはずです。


これが読書における常識と言ってもいいのではないかと思います。



もしここで、読書において、「ゆっくり時間をかけて読むから、きちんと内容が理解できないんだ」、と言われたら、皆さんはどのように感じるでしょうか。

私が読書において、最もコペルニクス的転回に感じたのが、この部分です。


先にネタ元を言ってしまうと、以下の本になります。


宇都出 雅巳 著

どんな本でも大量に読める「速読」の本


宇都出雅巳 著 どんな本でも大量に読める「速読」の本


この本が言うのには、「ゆっくり時間をかけて読むから、きちんと理解できないんだ」と書かれています。

これだけを聞くと、そんなバカなと当然思いますし、私自身も最初そう思いました。

しかし、読み進めてみると、その本質が私自身、非常に納得のできるものですし、理にかなっています。


本書がこう説く最大の理由は、時間をかけてゆっくり読んでいると、例えば半月とかかけて本をじっくり読み進めていると、段々読み進めるうちに時間が経って、最初の方に何が書かれてあったか忘れてしまっていると。

そんなに時間をかけてゆっくりと読んでいるから、本の内容を忘れてしまうのだと。そして、全体像が把握できない。

部分部分は時間をかけて読んでいるから、その場ではそれなりに理解ができているのでしょうが、やはり時間が経つと忘れてしまいますから、結果的に、「木を見て森を見ず」だと著者は言います。



厄介なのは、ゆっくり読んでいると、その場ではきちんと理解した気になっていますから、熟読こそが本の理解への最大の道というような体感を得てしまうこと。速く読んでいたら理解などできるはずもないという実感。そして実際に丁寧に読んで、読者は本を理解した気になっています。

私達は本のタイトルなどを見て、本の内容を知りたいし、理解したいから本と真摯に向き合おうとする。本の中身を分かろうとするがゆえに、ゆっくりと時間をかけて丁寧に本を読もうとする。

これは人間の心理としては、ごく当然の帰結です。


しかし、これはよくよく冷静に考えてみると、幻想です。

なぜかというと、実際に本を後からもう一回手に取って、適当にページをめくってみれば分かりますが、まったく本の内容が分かっていなかったり、中身や書かれていたことをすっかり忘れてしまっているのです。

自分がそれらを理解し、実践したいのにも関わらず、そのために真摯に向き合って時間をかけて本を手に取っているにも関わらず、まったく自身の行動や判断に反映されていなかったり、血肉化されていない現実。

そして、この現実を突きつけられ、自分の理解力のなさと記憶力の脆弱さが露呈し、絶望を覚えることすらあるのです。

これはかなり過酷な体験と言っていいと思います。

ですが、私達の何が間違っていたと言うのでしょうか。



根本的には、「人は一度見たり聞いたりするくらいでは、骨の髄まで理解したり実践できたりするほど、人間は記憶力や認識力が優秀ではない」という一言につきます。

本にしても、そもそも一度読んだくらいでは、きちんと内容を理解したり、覚えたり、実践するには無理があるのです。


よく記憶力の達人みたいな人がいて、それを競う企画や番組等がありますが、彼らに私達と桁違いの能力差、記憶力の差があるのかというと、そんなことはなくて、さほど違いはないそうです。本人達がそう口にするのです。

では、彼らと私達の間にある差は何なのかと言うと、あるのは、「反復量の差」なのです。

そう、よく覚えている人というのは、覚えるだけの回数、その内容に接していたというだけのことで、数をこなしていた、触れている回数や機会が多かった、慣れていただけなのです。


学習には、復習や繰り返しが大切だと言いますが、本当にそのとおりで、いわば、「愚直さ」でしかありません。

学問に王道なしです。


本を速く読める人というのが確かに存在しますが、実は、それはすでに知っていることや慣れている内容が、速く読めるだけのことです。

本を速く読める人とて、知らないことや慣れていない内容は、速く読んだり理解したりはできません。



こういった背景の中で、先に紹介した速読の本の著者が書籍で語っていることは、「あまりにゆっくり読むべきではない。本を読んでいるうちに前を忘れて、全体像が把握できなくなるから。そして速く読む分だけ、できた時間や余裕を使って、何度も何度も反復が必要」と言っているのです。

著者は飛ばし読みさえもいいと言います。しかし、一度全体を飛ばし読みをして終わりにするのではなく、何度も何度も繰り返し本を開いて、頭に本の内容や用語を馴染ませるために、「高速大量回転法」というメソッドを紹介しています。

読むのが速い分、何度も本を反復(回転)させるのです。それを著者が「高速大量回転法」と名付けています。


これは私にとって、あまりにコペルニクス的転回でした。


巷に蔓延する速読本は、キーワードだけを抽出して読むとか、無意識に任せて理解させる(理解したふりをする)フォトリーディング等、あまりに稚拙です。

前者は自身のスコトーマに合わせて自分に都合のいいようにしか読めないはずですし、後者はあまりにスピリチュアル過ぎます。どちらも読書とは言い難い。


その点、今回の高速大量回転法は、理にかなっているように感じます。実際、私も実践してみて、非常に納得のいくものでしたし、充分に実践できる内容でした。

巷の速読本が怪しげな内容である一方で、こちらは科学的です。



私自身が本を読む中で、最もスコトーマの外れたことは、「本の読み方は、ゆっくり読むのは当然として、速く読んでもいいし、そしてそれを大量回転してという、そんな読み方も可能で、読書の幅が猛烈に拡がった」ということです。

この書籍は私にとって、あまりに常識外れで、かつ、感激的、常識を超える素晴らしい内容と体験とになりました。



ちなみに、読書の幅を広げる書籍として、以下も大変おススメです。


松岡正剛 著 「多読術」


松岡正剛 著 「多読術」


今日も最後までブログをお読みいただき、ありがとうございます。



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2018年12月27日