無駄なことは何ひとつない


無駄なことは何ひとつない

【コーチングとヒーリングの融合】杉本ワークスの杉本浩章です。


先日、友人たちが私の家に、すき焼きパーティーをしに遊びに来てくれました。

私の実家は割烹料理屋を営んでいたので、私には料理の心得が多少あり、本格的なすき焼きのつくり方を見てみたい、知りたいというのです。

確かに、一般的な方々にとって本格的なすき焼きを家庭でというのは、難しいかもしれません。

私はトータルで10年以上、和食に携わっていたので、すき焼きはめずらしいものではなく、手軽に楽しめるイメージなのですが、長く続けていることというのは、知恵などの底力というか、ある程度実力が自然に備わっているものです。

何の分野においても、10年以上も続ければ、その傾向は顕著です。



コーチングを知り始めた頃、私は自分の歩んできた人生に対して、かなりの虚しさを感じていました。

コーチングでは、「自分が心からやりたいと思えることをやれ、それ以外はやる必要はない」と教えます。やりたいことだからこそ、楽しいし、幸せを感じるし、パフォーマンスや成果も自然と上がる。しかし、そうではないことは、パフォーマンスも上がらないし、当然成果もついてこない。楽しくもないし、またその状況がエフィカシーやセルフイメージを下げてしまいます。創造的な逃避行動が現れます。要するに、やりたくないことを自然と避けるような方向にマインドが働くのです。


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私は、料理は好きではありませんでした。でも仕事としてやっていたのは、実家稼業だからです。親戚や周りの人間に、何度も、「継ぎなさい継ぎなさい」と言われました。逃げたと思われるのが嫌で、実家稼業を継いだのです。

この選択は、コーチングでは間違っています。自分の心の声に歯向かい、好きでもない仕事を選んだこと、周りの人間や常識を重視し過ぎた点です。

コーチングは、「現状の外側」と「Want-to(自分から自発的にやりたいと思える感情)」が肝です。

それを知ったとき、私はなんて長い時間を好きでもないことに時間を費やしてしまったのだろうと、心から後悔しました。たった一度しかない人生、時間が本当にもったいないと思いました。

無駄なことをした、何度も何度も自分の過去の時間を悔やみました。


そのあと私は、コーチングの世界に舵を切ることになります。



しかし、すき焼きパーティーをしながら友人たちと楽しい時間を過ごしていて、思い直す部分がありました。

料理をやっていたから、こうして友人たちが訪ねてきてくれるし、喜んでもらえるし、人間関係もさらに深まる。来てくれていた女性のひとりが、料理が本当においしく、楽しかったと。今度はお付き合いしている人とまた来たいと言ってくれたのです。

そのお付き合いしているという人、名前を聞いてびっくり。私が以前からお話してみたいと願っていた、憧れの方だったのです。

まさかこんな形で、その憧れの方とご縁が頂けるとは思いもよりませんでした。


このときばかりは、料理をしていて本当に良かったと、心底思いました。

脳裏に浮かんだ言葉は、「無駄なことって、何ひとつないんだなぁ」です。



教養って、すぐには役に立ちません。しかし、教養があると、必ずどこかで役に立ち、その人の人生を確実に豊かにしてくれるものです。

すぐに役に立たないから、無駄なことをしていたかもと思われがちです。しかし、のちに、やっていてよかったと思えるときが来るものです。それが教養というものです。


教養のある人は、人生の質や幅の広さが、それがない人とはまったく違います。

型にはまらぬ自由な発想力、創造力があり、人生の底力を発揮します。

大学で専門課程ばかりをやっていると、専門的な分野に関しては確かに大きな能力を発揮できるでしょうが、ひとたびその分野から外れると、途端に自由が利かなくなります。枠の中だけでは得意でも、枠から外れると融通が利かなくなる。


教養豊かな人というのは、枠の中だけにとらわれません。いついかなるときも、のびのびしています。それが教養の必然性というか、本質なのでしょう。生き抜く力そのものが養われるのです。そして、人生全体が豊かになります。

私にとっては、料理の知識が一見無駄なようであって、教養になり得たということです。



教養というのは、無駄なこと、無駄な時間から生まれるのかもしれません。

そして、一見無駄に思えたことも、いずれ役に立つ、人生をより豊かで自由にする。

色んなことに挑戦し、無駄なことをとことんやってみて、教養を身につける。大切なことだなぁと、つくづく感じました。


今日もブログを最後までお読み頂き、ありがとうございます。

2017年08月28日