同行二人を意識する


同行二人を意識する

【コーチングで世界を創造する】 杉本ワークスの杉本浩章です。


「同行二人」という言葉があります。

「どうぎょうににん」と読みます。


空海について学んだり、仏教や密教とか、真言宗の教えについて触れたことのある人は、聞いたことのある言葉だと思います。


ちょっと調べると、「四国巡礼の遍路など、西国巡礼者がいつも弘法大師と一緒に巡礼しているという意で笠に書きつける語のこと」という説明があります。

一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けている。同行は信仰を同じくするの意で、二人とは本人と弘法大師の二人を意味し、常に弘法大師と共にあるの意とあります。



言葉や教えの解釈というのは、人によって、もしくは視点の置き方によって異なります。

言葉を創った人が最初に必ずいるわけですが、その人がどういう意図や意味を込めて言葉を創ったのか、それは本人に直接聞いてみないと、その真意や言葉に隠された秘密というのはなかなか見えてこない場合もあるでしょう。


同行二人という言葉には、一体どんな意味が隠されているのでしょうね。



同行二人という言葉は真言密教の言葉です。

その前に、「密教(みっきょう)」という言葉の意味に立ち返ってみると、密教には対になる言葉があります。

「顕教(けんぎょう)」という言葉です。


密教という単語は、なんとなく聞いたこともある人も多いと思いますが、顕教は非常に少ないかもしれません。

私自身、仏教に興味を持って学ぶ前までは全く知りませんでした。



言葉の意味の違いは聞いてみるととても単純で、こうです。


顕教(けんぎょう)= 秘密にせず明らかに説かれた教えのこと

密教(みっきょう)= 秘密の教え、秘技伝授


このあたりの中身や勘所というのは、仏教宗派によってやや異なりますが、概ね、このようになります。

一般に、出家をして何十年も顕教を学んでしっかりと人格や基礎を身につけて、それから秘密の教えという密教の世界にようやく入れる、秘技伝授を受ける資格があるという流れになります。


我々の一般社会で例えると、小学生から高校生くらいまでが顕教ということになるでしょうか。広く教え伝えられ、隠されることもなく、万人が教育を受けます。

その中で、望んだ者が大学に入る人もいます。大学の教えというは教養課程もあるので全部とは言いませんが、概ね特有の学問です。レベルや専門性が高く、高学年になればなるほど一般の人には理解が困難になり、従って秘密性や秘匿性が必然的に上がります。

ゼミとか○○研究室、大学院みたいな状況になってくると、現代社会の密教といって差し支えないと思われます。



同行二人とは、非常に贅沢な世界観です。

真言開祖の空海、弘法大師、空海(くうかい)が巡業を共にし、師と弟子が信仰や教えを共有し、四国を回るのです。


同行二人の本質は、顕教の過程を終えて、師と弟子が密教の教えを共にする世界です。


我々も身の回りを見渡してみるとすぐに分かることですが、独学や独習というのはどうしても限界があります。勘違いや思い違いがあったり、本をきちんと読んだつもりであってもよく読めていなかったり、実践経験が乏しかったりということです。

「百聞は一見に如かず」といいますが、本当にそのとおりで、物事の極意や本質というのは、実際に目で見て触れて、体感を通して体験をしないと会得は困難を極めます。

要するに、独学は非効率、というより不可能というべきでしょう。


ですから、同行二人なのです。

師と弟子が直接接することで、弟子は師の本当の姿を学びます。「本当の姿」というのは、本質や極意、技術、勘所、空気感、秘密の教え、心根、体感、といったところでしょうか。



一方で、師は弟子を観て学びを得るということもあります。

弟子の成長や失敗、姿を目の当たりにし、師自身の不覚や思い違い、至らなさ、挑戦、そしてさらなる真理の探求という次元の領域へと突き進んでいくのです。


要するに、師は弟子をとることで、さらなる高みへと上がることができるのです。


こういった同行二人の背景というか勘所を、ちょっと頭の片隅に入れておくと、成功や成長がさらに加速されるかもしれません。

人と人が「直接」接することで、世の中がまわりはじめ、発展をしていきます。

2019年09月07日